牛窓花火
福岡屋旅館から3分の会場 カメラに入りきれない花火と近くで感じる花火の爆音
今年は一段と華やかでした
分の
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福岡屋旅館から3分の会場 カメラに入りきれない花火と近くで感じる花火の爆音
今年は一段と華やかでした
分の
2.5キログラムのトマトケチャップがうまく出来ました
ししこま作りは9月6日(日)10時から12時
西町倶楽部にて 参加費 300円 50名様程度
八朔ひな由来
八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の八月一日のことです。この頃早稲(わせ)の穂がみのるので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習があり、古来から大切な年中行事の一つとされてきました。このことから、「田の実の節句」ともいい、この「たのみ」を「頼み」にかけ、互いに贈り物をし合い、祝賀の意を表す風習が広まりました。江戸時代に入り、二代将軍秀忠の娘徳子が後水尾天皇のお妃様として宮廷に入る際、京都の御所で盛大なひな祭りが行われたのをきっかけに、幕府や大奥ででもひな祭りを行うようになりました。やがて武士階級から町人へと広まり、江戸幕府が三月三日を祝日に設定したことで庶民も盛んにお祝いするようになりました。いつしか春に飾る雛人形を、虫干しを兼ねて再び飾る行事がこの八月一日に定着し、子供たちの健やかな成長を祈る年中行事として庶民に広く定着していきました。八月朔日に飾られる雛を「八朔雛(はっさくびな)」、九月九日の重陽(ちょうよう)の節句の菊雛を「後の雛(のちのひな)」と言います地方によって形態は様々ですが、兵庫県たつの市御津町室津や香川県三豊市仁尾町などの古くから航路の拠点としてにぎわった港町には、今も「八朔雛」を飾る風習が残っています。
「ししこま」の由来
「ししこま」とは、米粉を練ってこれを蒸し、臼でついて山の幸・海の幸をかたどった団子ににし、色子で彩色したもので、女の子が生まれた初めての八朔(旧八月一日)に作り、雛壇に供えるとともに、近所の子供たちに貸していました。(女の子が生まれた時には同じものを作って返します)もらってきた子供達は、二、三日のうちに食し、無病息災を願います。昔は牛窓港全体で行われてきた風習ですが、現在では瀬戸内市牛窓町牛窓西町地区のみ伝わっており、瀬戸内市の無形民俗文化財に指定されています。今も受け継がれている八朔の風情をお楽しみください。
お問い合わせ: 牛窓しおまち活性化プロジェクト
担当:岡 090-3055-5108
■当館のご案内
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